三栄書房

三栄書房70周年特集

時代とともに

高度経済成長の真っ只中、東京オリンピック開催で世の中が沸騰し、自家用車もカラーテレビもどんどん一般家庭に普及していった1960年代。そんななか三重県に鈴鹿サーキットが1962 年に完成、そのこけら落としレース(全日本選手権ロードレース/2輪)の報道の受け皿として発行されたモーターファン誌の増刊が、「オートスポーツ」の名を冠した最初の号でした。その後、1964年に第2回日本グランプリをメインテーマに、季刊として「創刊号」の文字とともに世に出た号が、現在まで続くオートスポーツ誌の第1号。その後、2017年末までに1472冊もの「オートスポーツ」が発行されたことになります。

日本のモータースポーツ界はその後、オイルショックに見舞われ、自動車メーカー撤退の中で独自の文化が育まれ、80年代末からはバブル景気に沸き、巨大なF1ブームとともに「オートスポーツ」のライバル雑誌も増えていきました。バブル景気がはじけて長い不況の時代に突入すると、ライバル誌は続々と撤退。今は姉妹誌となったレーシングオンだけが、現在まで残る四輪モータースポーツ総合誌です。バブル崩壊後も、90年代末から2000年初頭にかけて再びF1ブームが巻き起こり、「オートスポーツ」は2000年代に一時期週刊誌として渦巻くレース情報を毎週読者に発信し続けました。

しかし、リーマンショックで日本企業はF1から再び総撤退。ラリーや国内レースも含めて縮小均衡する中で、オートスポーツは隔週刊スタイルに軌道修正し現在に至っています。約55年間、様々な環境変化のなかでも「オートスポーツ」の看板を守り続けてこられたのは、読者の皆様、取材対象たるレース業界関係者、そして歴代の編集者たちの熱意があったからです。レース専門雑誌の存在価値が、この先の半世紀も続くのかどうかはわかりませんが、熱意ある読者と業界が続く限り、形にはとらわれずに「オートスポーツ」の看板が受け継がれていくものと信じています。

オートスポーツ元編集長
三栄書房モータースポーツ局長 高橋 浩司

1964年

オートスポーツ
 No.001 創刊号

「モーターファン」臨時増刊として数点刊行された後、1964年の第2回日本グランプリを契機に独立し、「オートスポーツ」として創刊されたのがこの号。1冊丸ごと日本グランプリで、広告の一部がカラーだが、記事はすべてモノクロ。当時はまだ季刊だった。

1965年

オートスポーツ
 No.007 F1メキシコGP ホンダF1初優勝

巻頭では翌年春に開業を予定している「富士スピードウェイ」の計画が詳細にレポートされている。また同号では、F1グランプリの終盤戦レースレポートも掲載。なかでも同年最終戦メキシコGPにおけるホンダのF1初優勝(リッチー・ギンサー)が伝えられている。

1966年

オートスポーツ
 No.011 第3回日本グランプリ@富士スピードウェイ TNT対決

富士スピードウェイが開業した1966年、第3回日本グランプリは鈴鹿から富士へと舞台を移した。国産初のプロトタイプレーサーであるプリンスR380やトヨタ2000GTの対決に、ポルシェ906ら外国車勢が加わる大激戦を制したのは砂子義一のプリンスR380だった。

1967年

オートスポーツ
 No.028 F1イタリアGP ホンダ優勝

ホンダF1第一期の2勝目である1967年イタリアGPをレポート。ホンダRA300とともに表紙に大きく顔写真が扱われている中村良夫監督の手記と、ダカール・ラリーでおなじみの菅原義正氏(当時はレーシングドライバー)の現地見聞録などが掲載されている。

1973年

オートスポーツ
 No.123 ル・マン24時間 日本車初挑戦 シグマMC73

日本からはトヨタ・ワークスによる参戦以外にも、数多くのプライベートチームやドライバー単位でのエントリーがある人気のル・マン24時間だが、その日本の挑戦の源流は73年のシグマMC73にあった。シグマは、現在もSUPER GT等で活躍するSARDの前身である。

1976年

オートスポーツ
 No.207 F1世界選手権イン・ジャパン開催

日本で初めてF1が開催された76年。グランプリの名称がJAFグランプリで使用されていたため、F1世界選手権イン・ジャパンの名称で、富士スピードウェイを舞台に開催された。雨天のためラウダが危険を理由に2周でレース放棄、ハントが世界チャンピオンに輝いた。

1977年

オートスポーツ
 No.235 F1日本グランプリで大事故

開催2年目を迎えた富士スピードウェイでのF1日本開催だが、表紙の写真のように1コーナーでビルヌーブがピーターソンと接触して車体が舞い上がり、立入禁止エリアにいた観客らを巻き込む死亡事故に発展。日本でのF1開催はこの年で一旦幕を閉じることになった。

1982年

オートスポーツ
 No.358 WEC富士6時間 初開催

F1が日本から去って5年、新たな世界選手権が富士にやってきた。当時、グループ5から新たにグループCへと変遷したスポーツカーによる世界戦で、今も富士で開催されているWEC富士6時間だ。当時まだ日本メーカーのワークス参戦はなく、ポルシェ956が圧倒した。

1983年

オートスポーツ
 No.378 ホンダV6ターボがデビュー、15年ぶりF1活動再開

1968年以来F1参戦を休止していたホンダの再デビューが、83年イギリスGP。スピリット・シャシーにホンダ製1.5ℓ V6ターボを搭載し、若きステファン・ヨハンソンがステアリングを握る。DFV全盛期が終わり、自動車メーカー系ターボ隆盛期へ向かう時代だった。

1987年

オートスポーツ
 No.488 鈴鹿F1日本グランプリ初開催

再び日本にF1が帰ってきた87年、その舞台は鈴鹿へと移った。フェラーリのベルガーが優勝、この年F1デビューした中嶋悟が凱旋レースを6位入賞で飾った。バブル契機に湧く日本で、当時社会現象とも言われたF1ブームが巻き起こる、その最初のきっかけとなった。

1988年

オートスポーツ
 No.515 F1日本グランプリ、セナが初の世界チャンピオン獲得

2年目の鈴鹿F1日本グランプリ。中嶋悟人気に鈴木亜久里のデビューも加わり、カリスマヒーロー・セナの活躍もあって、オートスポーツ誌も絶好調、GPXやF1速報など専門誌も続々誕生した。フジテレビによる全戦中継も2年目で、F1ブームはさらに加速していった。

1989年

オートスポーツ
 No.542 オーストラリアGP 中嶋悟がファステストラップ

F1ブームが加熱する中、日本の希望・中嶋悟が、雨のオーストラリアGPでファステストラップを記録したことは、当時の日本のファンの誇りであった。「雨のナカジマ」の真骨頂だ。日本人によるF1ファステストラップは2012年の小林可夢偉(中国GP)とこの2回だけ。

1990年

オートスポーツ
 No.568 F1日本グランプリ、鈴木亜久里が3位表彰台

セナvsプロストの確執がコース上で激突した一方で、鈴木亜久里が日本人として初めてF1の表彰台に上がったのが、90年F1日本グランプリ。セナの2年連続チャンピオン獲得は後味の悪いものとなったが、日本のファンにとっては中嶋も6位入賞と最高の結果となった。

1991年

オートスポーツ
 No.588 ル・マン24時間 マツダ787Bが日本車初優勝

ザウバー・メルセデスやジャガーといった強豪を抑え、ロータリーエンジン搭載のマツダ787Bがル・マン24時間で日本車として初優勝。レシプロ以外のエンジンの優勝は後にも先にもこれだけ。No.123で紹介したシグマMC73もマツダのロータリー搭載、長年の参戦努力が結実した結果だ。●

1994年

オートスポーツ
 No.656 F1サンマリノGP、アイルトン・セナ事故死

不世出の天才アイルトン・セナが、サンマリノGPの事故で天に召されたのが94年。国内に目を転じると、SUPER GTの前身である全日本GT選手権と、2リッター・セダンによる全日本ツーリングカー選手権(JTCC)がともに開幕戦を迎え、時代の転換期を感じさせる号だ。

1995年

オートスポーツ
 No.683 ル・マン24時間、関谷正徳が日本人初優勝

ル・マン24時間で初めて日本人選手が総合優勝を果たしたのは、95年にマクラーレンF1GTRを走らせた関谷正徳だった。同時に、GT2クラスでは高橋国光、土屋圭市、飯田章の日本人トリオがクラス優勝を果たすなど、日本のファンにはたまらないル・マンとなった。

1998年

オートスポーツ
 No.747 CARTチャンプカーもてぎ初開催

ヨーロッパタイプのレーシングコースだけで発展してきた日本のレース界に、オーバルトラックを併せ持つ「ツインリンクもてぎ」が完成し、アメリカンオープンホイール最高峰のチャンプカー=CARTが初来日。日本のファンが初めてハイスピードオーバルレースに酔いしれた。

2001年

オートスポーツ
 No.826 トヨタがついにF1グランプリ参戦

オートスポーツ週刊誌時代、ついに巨人トヨタがF1グランプリへ参戦を発表し、パナソニックのロゴ入りプロトタイプ車が表紙を飾った。当時のF1界は、BARと組んで復帰したホンダ、タイヤサプライヤーのブリヂストンとともに、日本の存在感が非常に大きかった。

2004年

オートスポーツ
 No.972 F1アメリカGPで佐藤琢磨3位表彰台

04年アメリカGPで佐藤琢磨が3位表彰台に上がる快挙を達成した。02年のデビュー以来、常にファンを魅了してきた佐藤、その13年後には同じ場所でインディ500優勝を果たすことになる。また、この号ではル・マン24時間優勝を飾ったチームゴウの詳報も伝えている。

2004年

オートスポーツ
 No.983 WRCラリージャパン初開催

ラリーファンが待望していた世界ラリー選手権(WRC)の日本開催が初めて実現したのが04年。北海道帯広市を中心とした会場には多くのファンが詰めかけ、初めてのWRCを見守った。ラリー・ジャパンは、その後札幌に移されたのち開催はされなくなった。

戦前のモーターファン

三栄書房が誕生する20年以上前「モーターファン」は創刊されたが、第二次世界大戦の物資統制でやむなく休刊となる

三栄書房誕生

敗戦ですべてを失った日本。まだ混乱が収まらないなか、産業復興の一助となるべくモーターファンは復刊された

ライバルと共に

グラフィカルな誌面構成のライバル誌レーシングオン創刊に衝撃が走る。その直後、日本に空前のF1ブームが到来した