「1985年インターTEC」
グループAツーリングカーの国際戦――日本車を蹴散らしたボルボ
1985年から国内でもグループAレースが開催されるようになり、国内各メーカーは市販車ベースのマシンをこぞって出走させる中、開催されたのがインターTECである。当初、海外勢を軽視した国内各メーカーは「一見速そうには見えないセダン」ボルボ240ターボの圧倒的な速さに優勝を奪われ、プライドを叩きのめされるのであった。このレースをきっかけにマシン開発のあり方等が見直され、やがてBNR32スカイラインGT-Rの最強伝説が生まれていった。