混迷の2003年
追い込まれていったヤマハMS開発部
ヤマハの二輪レース活動を取り仕切る
MS(モータースポーツ)開発部。
ケニー・ロバーツやバレンティーノ・ロッシといった
スターライダーたちとともに数々の栄光を収めてきた
ヤマハ社内でも花形のセクションだ。
しかし、実は近年ロッシがやってくる直前までは、
勝てないことによる悪循環に陥っていたのである。
ヤマハ起死回生の切り札“'04年型YZR-M1=0WP3”
開発チームの合言葉は「4弁・バタ弁・90度」
惨敗に終わった'03年型を大幅に見直した開発チーム。
エンジンの具体的な変更カ所には以下の3つだった。
・吸排気のバルブ数を、5バルブ→4バルブ=「4弁」
・インジェクションのスロットバルブを、
スライド式→バタフライ式=「バタ弁」
・クランクピンの位相角を、180度→「90度」
当初、ピークパワーは'03年型を下回ったが、
ライダーはこのエンジンを選択して勝利を重ねていく――。
バレンティーノ・ロッシ インタビュー
「ヤマハへの想いは、いまも変わってはいない」
'03年のシーズン中に発表されたロッシのヤマハへの移籍。
「最強にして最速マシン」と評されたホンダと決別し、
'04年からヤマハへ移籍することに決めた当時の心情を
いま改めてロッシ本人が語る。